2016/11/24

ゼミ@アーツ前橋

アーツ前橋で『フードスケープ-私たちは食べものでできている-』展が開催されている。
 研究室4年生のゼミ生を連れて一路前橋へ。見学会を兼ねてゼミということにしようと考えていたが、何と東京(及び関東も)11月としては54年ぶりの雪!と、いうことで、朝は、「果たして前橋まで辿り着けるだろうか。。。」というような状況。電車も各所で大幅に遅れていたが、何となく無事に学生もみな辿り着くことができた。
 展示は昨年の『ここに棲む』に引き続き、という訳で、衣食住をテーマにした展覧会の3ヵ年に渡るプログラムの3年目の展示ということで見応えもある。
 学生もいろいろ刺激を得たようで充実した見学会になった。
 会期は年が明けた1月17日まで開催中ですので、お近くまでお越しの際は是非会場に足を運んでみてください。(TM)



夜は西荻窪で、大学の非常勤でお世話になっている建築家の大塚聡先生の還暦祝い会。お祝いということにかこつけて、ただ飲む!というイベントを水谷研で企画させていただいた。大塚先生おめでとうございます。

2016/11/19

甲子園随想その2

 野球のシーズンも終わり一息ついた。少し季節外れになってしまうが、野球絡みということで、少し甲子園の話を。
 後、ちょっと今年このブログを書きたいと思った別の理由もあります。それはこの文章の最後に少し紹介します。
 昨年の2015/08/19のこのブログで『甲子園随想』というタイトルで甲子園(高校野球)に関して書いた。その際、僕が初めて甲子園球場に足を踏み入れた1977年の夏の大会について書いたのだが、その中で、「その翌年78年に続きがありますよ」的に、「さて、そのお話は、また来年のこの季節にでもしましょうか。」と結ばせて頂いた。ので、その想い出話の続きを今年も少々。
 77年の決勝戦(の最後の部部だけ)を甲子園で生で初めて観戦し、地元兵庫代表の劇的なサヨナラホームランによって決着がつくという熱戦に感動に浸ってしまった僕(当時7歳)は、翌78年も「甲子園に観戦に行きたい。」と親にせがんだ(ようだ)。当時の父親世代は仕事も忙しく日曜日も父は働きまくっていたという記憶があるが、かなり無理してくれたのか、決勝戦のチケット(その年はたまたま日曜に開催)を取ってくれて父母とともに親子3人で観に行くことになる。ちなみに父母とともに3人で野球を観戦したのはおそらくこれが最初で最後と記憶している(父と僕、母と僕、父と母という取り合わせでは、この後幾度ともなく野球を観に行っているのだが、不思議なものだ。)ので、残っている記憶も鮮烈である。
 さて、決勝戦の試合は地元大阪の未だ優勝経験がない新鋭の高校と、野球王国である四国は高知の代表、優勝候補の雄、高知商業との対戦。
 試合は決勝戦独特の高揚感があり、球場はもちろん超満員だった。今回は内野席でちゃんと座って観戦できていたので僕もご満悦だったが、試合はものすごく緊迫した投手戦に。はっきり言って、投手戦は子供にとっては試合展開に動きがないので、通常はとても退屈してしまうのだが、その時は球場全体の熱気がすさまじくて、手に汗をかきながら試合を観ることに没頭してしまった。
 試合展開は序盤に高知商が先制し、20のままあっという間に最終回へ突入。地元大阪の高校は完全に抑えられており、まったく反撃の糸口がつかめない状況だった。ここで球場全体が初優勝を目指すチームにエールを送ることになる。最終回9回裏、大阪の高校の最後の攻撃でランナーが一人出たところで、球場の所々から拍手が起き始める。そして、ランナーが二人出た場面で、球場の熱気がシンクロし始め、球場全体で大拍手の嵐が起こりだした。僕は何と言っても人生初めての本格的な野球観戦だったので、その球場全体が一つになるという状況を呆然と、そして恍惚と見とれてるような感じだった。そこで、打者にエースで4番の選手が立つ。まさに舞台は整った。僕は遠い客席で観ながら、その異常に緊迫した場面にもかかわらず4番打者がバッターボックスでニヤリと笑ったような感じがした。まったく観えない距離なので、それはまさに錯覚なのだけど、球場の雰囲気全体がそう思わせる何かが憑りついていたのだろう。結果は追い込まれながらも(このあたり記憶が曖昧だ)、鋭く放った打球が1塁線を鋭く切り裂くタイムリー2塁打。同点。土壇場で追いついた。この段階で、球場は興奮の坩堝となり、まさに球場全体が揺れるような状態だった。続く、5番バッター。もう試合の流れは完全に動いていた。完全に高めに外れた球を左中間まで運び、見事、逆転サヨナラという劇的な幕切れとなった。
 これで夏の甲子園は4年連続のサヨナラで優勝校が決定することになる。まさしく昨年の決勝をみて母親と「3年連続はあっても、まさか4年連続はないよねぇ。」と言っていた、その「まさか」が起こった訳である。
 試合の後、甲子園に住む、祖父母の家まで家族三人で遊びに行き、祖父母の家でも先程までおこなわれていた決勝戦の話で盛り上がっていたのを覚えている。当時は、それ程、夏の甲子園が大きな歳時記だったと言える。
 時は流れ、40年近くが経ち、祖父母の家もすでに甲子園にはなく、僕もそれ程甲子園への情熱は失われてしまった。けど、あの時の熱気が渦巻く空気感は、何事にも代え難い体験であり、ある意味、貴重な建築空間体験だったと言えるだろう。
 さて、最後に、優勝した当時新米のその大阪の高校はこの後、甲子園という場で、数々の奇跡的な試合を残し、僕もその場面に幾度となく球場で遭遇することになる。ほぼ伝説的にまでになっている、その年の奇跡的な快進撃から人びとはそのチームを、リスペクトを込めて異名で呼ぶようになる。

その名は『逆転のPL』。

「立派な王国が色あせていくのは 二流の共和国が崩壊するよりもずっと物哀しい」
村上春樹著、『カンガルー日和』「駄目になった王国」より)
(TM)

2016/11/14

久方ぶりの出会い、諸々

 どうでもいい話だが、本当に久しぶりに出会う、という機会がたまたま身の回りに頻発している。
 福岡に赴いた時に14年ぶりと5年ぶりの友人及び後輩と。その福岡からの帰りに岡山で6年ぶりの友人と。設計の仕事関係の友人を介して12年ぶりの方と。四国で12年ぶりの方と。とある審査会で12年ぶりの方と。etc,etc。。。
 偶然のつながりで、ということも多く、本当に世間は狭いなぁ、と思いながら、この2ヶ月ほどの間に連続するので、「そういうタイミングなんだなぁ。」とつくづく感じる。こういうことって、自分の親がよく言っていたなぁ、と思い出す。いやはや。
 そして本日、教え子である卒業生(2期生)ワタルの仕事上の繋がりで、13年ぶりの友人(大学の研究室同期)のhokiさんと西新宿にて会食。何といってもこの前会ったのが自分の結婚式だったので、本当に久しぶりで、時は流れていることをジンワリと感じ入る。しかも、自分の教え子と同席なので、個人的には時間がちょっと行ったり来たりしているような感覚になり、非常に奇妙な感じで(これは同席した3人みんなが多分感じただろう)、ものすごく楽しかった。
 短い時間の再会だったが、学生時代のバカ騒ぎの想い出に華を咲かせ、また近々ということと、お互いの健闘を讃え合って帰途に就く。
 家に帰り、U2の“I Still Haven’t Found What I’m Looking For”を聴く。流れる時間と変わらぬスピリットに乾杯。(TM)

2016/11/12

トロールの森2016

 杉並区の善福寺公園で開催されている屋外アート展『トロールの森2016』に作品を出展しています。作品名は「Nirvana」。とは言っても、カート・コヴァーンとは何も関係ない作品です。
 人間の身体寸法にとって非常にギリギリの空間体感を楽しんでいただく作品になっていますので、是非、お近くにお越しの際はご来場ください。
 会期は2016/11/3から23日まで開催しています。入場無料ですので、お気軽にどうぞ。(TM)

2016/10/26

ビーチボーイズのいえ

 武蔵野大学3年生の後期、設計演習(授業名:空間造形4の第1課題の講評会を開催。この授業は、僕を含め5名の建築家の先生と一緒に運営する、スタジオ制の設計演習。
 水谷スタジオでは例年、第1課題ではスーパースター(ロック・アーティスト)の家シリーズの課題を提示する。もうこれも12年目に突入。非常にコンセプチャルな課題で、学生にとっては非常に難しいと思うけど、頭をグルングルンさせ普段とはまったくちがう脳味噌の使い方をして思い切り頑張って欲しい、と例年思っている。

 今年度は4月にブライアン・ウィルソンが来日した(当ブログ2016/4/13を参照ください)ということもあり、「ビーチ・ボーイズ」(!)とした。おそらく学生は誰も全く知らない課題ネタ(まあ、例年そうなんだけど。。)となり、独りよがりにアツくなりながら、履修希望者が果たしているのか?と不安に駆られながら授業に臨んでいった。約3週間の短いスパンだが履修者5名が課題に取り組み、55様のそれぞれ面白い提案が完成した。
 基本的に正解(らしきものも含む)がない課題なので、学生も困惑するが、講評する教員もいつもと違う所に頭をもっていかなければいけないので、講評会はいろいろな先生方の意見が聞けて、こちらとしても面白い。何となく世の流れから外れたものをつくりづらい世の中になっているので、こういうのも大切だよね、と、完全に自己満足(及び、自己弁護(!))しながら講評も無事に終了。
 さて、課題全文を下記に流します。写真は第1課題の打ち上げ&第2課題決起会@吉祥寺ハモニカ横丁。学生諸君には第2課題も健闘を期待します。(TM)

■課題:「The Beach Boys のいえ」
「スーパースターの家」シリーズの第12弾の課題は、「ビーチ・ボーイズ」である。一般的には、62年にデビューして以来、何度かの浮き沈みはありながらも半世紀にも及び、西海岸の青い空と海、サーフィンといった健康的でポップなイメージを軽快なリズムと美しいコーラスにより、アメリカを代表するバンドとして知られている。最高傑作と誉れ高い『ペットサウンズ』以後も80年代後半に映画『カクテル』の主題歌「ココモ」が全米1位の大ヒットを記録するなど、現在にいたるまで、メンバー間の分裂などを経ながらも活動が継続している。今年、4月にオリジナル・メンバーのブライアン・ウィルソンが奇跡の来日公演をおこなったことも記憶に新しい。
オリジナル・メンバーは、ブライアン・ウィルソン(vo, b) (key)、カール・ウィルソン(vo, g)、デニス・ウィルソン(vo, ds)の三兄弟に、いとこのマイク・ラヴ(vo, )、幼馴染のアル・ジャーディン(vo, g)5人のファミリーグループで結成。60年代前半には唯一ビートルズをはじめとするブリティッシュ・インベージョンに対抗できるアメリカのバンドとしてヒット曲を連発し、ヒッピー・ムーブメントの時代になっても、リーダーの天才、ブライアン・ウィルソンによって生み出された66年の『ペット・サウンズ』や、代表作である全米No.1ソングの「グッド・バイブレーション」といった革新的な楽曲により、その後の長きに渡り評価を受けることになる。
現在のロック史上においては、アルバム『ペット・サウンズ』はロック音楽にとっての独立記念日のようなものだった[1]、とみなされている。現在までに総計900万枚以上を売り上げ、ロックの歴史を変える名盤となった。しかし、それまでのハッピーなビーチ・ボーイズの音楽イメージを覆すこのアルバムは、発売当初はファンはおろか、ブライアン以外のメンバーからさえも不評や戸惑いを呼び、ブライアン・ウィルソン自身がパラノイヤに陥り、ビーチ・ボーイズ自体も崩壊へと流れていくことになる。時はビートルズの『ラバー・ソウル』が出て、この『ペット・サウンズ』が出て、この後、再びビートルズの『S.P.L.H.C.B[2]』が出て、さらにビーチ・ボーイズ(ブライアン・ウィルソン)が『スマイル』(完成せず)を創ろうとしていた時代。言い換えれば、「コンセプトアルバム」という概念が確立された時代である。そして、2000年代に入りブライアン・ウィルソンは長い低迷(空白)期を経て、復活を果たしていく。
もともとこの課題のオリジナルは『わがスーパースターのたちのいえ』[3]というコンペの課題である。今年度は、その『スーパースター』をどうとらえられるかということを、アメリカ・バンド史上を代表するスーパースター、ビーチ・ボーイズの存在を冠して考えてもらいたい。   
課題へ取り組む糸口は、数多ある。『ペット・サウンズ』という音楽、ブライアン・ウィルソンの人生、コーラスやハーモニーのあり方、ビートルズとの相関関係、60年代~現在という時代性、各々のメンバーや楽曲群、歌詞、等など。
課題は、例年通りの前置になってしまうが、様々な社会性や文化性を持ったバンド(今も一応、現役)、ビーチ・ボーイズという音楽グループの住まいを設計することではない。音楽という世界を通して創造をしているビーチ・ボーイズの拠り所としての概念(→空間)はどのようなかたちで表現することができるのか、時間や空間を超えた構想力豊かな提案を期待している。

[1] 音楽評論家、デヴィッド・リーフによる。(ジム・フリージ著『ペット・サウンズ』の翻訳版より)
[2] 『サージェント・ペーパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』。ジム・フリージ著『ペット・サウンズ』の翻訳版の中で翻訳を担当した村上春樹氏が、『ペット・サウンズ』と『S.P.L.H.C.B』との比較を訳者あと書きで適切に表現している。
[3] 1975年の新建築の住宅設計競技の課題。『わがスーパースターのたちのいえ』。審査委員長は磯崎新。そしてその結果はほとんどが、海外の提案者が上位をしめた。磯崎はその審査評で「日本の建築教育の惨状を想う」というタイトルで、日本人提案のあまりの硬直化した状況を嘆いている。さらに相田武文が「犯されたい審査員を犯すこともできなかった応募者」という講評をおこなっている。今で言うところの「草食系」である日本人建築家の提案の惨状をみて「磯崎が新建築コンペにとどめを刺した」と評している。

2016/10/25

アーチの森2016

  武蔵野大学の学園祭(摩耶祭)(2016/11/1516)が開催される。
例年、学園祭の実行委員会より依頼され、正門からアプローチした正面にある噴水広場の近くに、木造仮設建築物(作品名:『アーチの森』)を制作している。設計(デザイン)から施工まで、完全にセルフビルドでおこなうことが大きな特徴である。
 建築物は、学園祭のシンボルとしてPR機能を果たすことが条件として望まれており、後、制作チームとしては、このつくる建築で来場者の方々に憩い、たたずんで欲しいという思いがある。
 このプロジェクトも今年度で10年目になった。記念イヤーだったということだが、「ここは通過点に過ぎない。」と自分に(勝手に)言い聞かせ、特別なセレモニーはあえておこなわずに今年度も無事に建築が建った。
 制作する学生は、厳然とした締め切り(学園祭初日の朝に建築が建ちあがってなければならないという縛り)があるので、作業後半は物凄いプレッシャーと共に作業をおこなうことになる。今年度も大変そうだったが、完成した感動は何事にも代え難い、のではないかと思う。学生の皆さんはお疲れさまでした。
 会期中はたくさんの方々に来場いただき、思い思いにこの建築にふれて頂きました。ありがとうございました。(TM)

2016/10/22

小金井公園 江戸東京たてもの園


武蔵野大学工学部建築デザイン学科(改組があって昨年からこの名称)の学外授業で江戸東京たてもの園へ。今年は、伊藤泰彦先生と担当させていただいています。

その伊藤先生からなんと「当日はお子さん連れでどうぞ」と言っていただき、思う存分お言葉に甘えて、子連れ・重役出勤・伊藤先生の子守付きという極上の待遇で赴きました。伊藤先生、スタッフの皆さん、どうも有り難うございました。

授業で来る度に「いつか小金井公園の芝生広場で子供たちと遊びたい」と思っていたので、それがかなって私は大満足。5歳の娘は「あの赤い屋根のおうち(デ・ラランデ邸)に住みたいから、お父さんにああいうの作ってってお願いする。」とちゃんと収穫があったようです。娘ですが、今の自宅について「満足できない部分」があるらしく、他の家を見ては自分の理想と重ね合わせて「こういうのがいいな~」と呟いていて面白いです。